ホームは必要か?
僕らの世代は、物心ついた頃にはインターネットが生活の傍にあった。
家庭にPCは普及していて、WindowsXPは快適なネットサーフィンを可能にしたものだ。
インターネットに対する姿勢
当時から考えると、僕のインターネットに対する姿勢はずいぶん変わったなあと思うのだ。
当時は単に娯楽としての扱いで、おもしろフラッシュ集や簡単なゲームなんかをしていたような気がする。
しかしケータイを持ち始めてからというもの、インターネットまでの距離感がぐっと近づいたように思う。
以前は実家に一つしかないパソコンを、他の家族に許可をとって使いインターネットを利用していたのだが、ケータイを持ってからはいつでもどこでも、他人を気にすることなくインターネットが使えるようになった。
そしてケータイではゲームができるほどのスペックがなかったため、必然的に記事の閲覧などが主な利用となり、結果的にインターネットを膨大な情報源として見なすようになってきたのだ。
情報収集の場としての利用が圧倒的に多くなっていった。
そして現在、情報を「収集」するだけでなく、「発信」しようと試みている。
僕自身の、インターネットに対する姿勢はどんどん変化しているのだ。
インターネットの変化
そしてもちろん、インターネット自体もどんどん変化している。
少し前はブログやホームページが大流行した。
インターネットは、少しづつ情報発信の場としての下地を作りつつあったのだ。
そして現在はソーシャルネットワークの時代と言われ、その情報発信があまりに簡単に行えるようになった。
しかし場が整っても、その中で情報発信の場はすぐに入れ替わってゆく。
モバゲー、グリー、ミクシー、ツイッター、フェイスブックなど、どんどんトレンドが移り変わっていっているのだ。
クラウドをつかったサービスが増え、今は1つのパソコンとインターネットさえあれば一人でビジネスを始めることだってできるのだ。
特に今は2ちゃんねるの転載禁止による変化がネットの世界を混乱させているようだ。
ホームといえるもの
インターネット自体も変化していくし、それに対する姿勢もどんどん変化していく・・・。
それらについていくことは容易ではないし、そうしようとすると意図せず失っていってしまうものもあるように感じられる。
例えばあるSNSが流行していたとして、そこにたくさんのログを残し、たくさんの情報発信をしていた人がいたとする。
日記を書いていた人もいただろうし、自分の考えを述べた人もいただろう。
備忘録として、また他人の役に立つために様々な情報を提供していたかもしれない。
そして時がたち、インターネットが変化してそのSNSが姿を消そうとすれば、そこに残してきた情報はどうなってしまうのか。
簡単に捨て去って、次の流行へ移行する、そんなことができるだろうか。
僕がそうしたいと思っているように、インターネットを使えば簡単に世界中に情報を発信できる。
前述したように、今はパソコンひとつとインターネットさえあればビジネスだってできる。
それくらい力を持つネットの世界に、本当にホームは必要ないのだろうか。
すべてが変化せずにはいられない世界で、ずっと変わらないもの、ずっと変わらない場所、現実で言うホームのようなものは必要ではないだろうかと、そう思うのだ。
僕としては、ブログというものがそのホームになり得るのではないかなあと思ったりしているのだが、まだよくわからない。
そうなれば良いとも思うし、そういった作業を通してインターネットの使い方がもっとうまくなればとも思う。
皆さんに、ネット上のホームといえる場所はあるだろうか。