変化できない人間
「間宮兄弟」という小説を読んだ。
映画にもなっている、有名なものらしい。
ずっと実家にあった本なんだけれど、タイトルが全然面白くなさそうだったから、今日の今日まで読んだことなかった。
今日は朝から雨が降っていたから、外に出たい気持ちなんて微塵も湧いてこなくて、でも家でやるべきことは何故か昨日に終わらせてしまってたもんだから、仕方なくこの本を手にとったのである。
(必ずしも今日すべきではないということに何故か一生懸命になって、そのせいで本当にそれをすべき日にむしろ手持ち無沙汰になってしまうということがよくあるような気がする)
間宮兄弟
「間宮兄弟」はモテない二人の兄弟の日常(彼らにとっては少なからず非日常を含んでいた)を綴ったものだけれど、これが何とも哀愁ただよう切り取り方で描かれている。
作中でも兄弟は周囲の人々に柔らかい空気を提供していたが、この小説自体もその雰囲気をまとっているように感じられた。
この小説が読者に提起する問題は「変化」だと思う。
兄弟は、二人で共同生活をする社会人である。
兄弟は過去のあまり思い出したくないような経験から、今の現状が本人たちからしてもそれほど良くないにもかかわらず、今を維持しようとしてしまう。
何かあるにつけて「もうあんな思いはしなくていい」と、そうやって今に満足したかのような幻想を持ってしまうのだ。
しかしそれは過去がマイナスだったから感じるまやかしであって、今がプラスかどうかなんてわからないのだ。
兄弟はそれに心の何処かで気づいており、いや、きっと気づいていたから、変化を自ら求めに行くこととなる。
兄弟は取り巻く環境の様々な変化に突然見舞われることとなるが、それぞれ自分なりの努力をしたにも関わらず、結局欲しかった変化を手に入れることはできず、また変化する前の状態に戻ってしまう。
かいつまんで書くと、そこで小説は終わる。
兄弟は、幸せになれたんだろうか。
変化すること、しないこと
変化する前の状態に戻ってしまった時(全てが元通りとはいかないだろうけど)、兄弟は「やっぱりこっちのほうがいいよな」という気持ちを全面に押し出しているように思えた。
傍から見れば、変化を求めたにも関わらず兄弟は何も変化することができなかったのだから、それは良くなかったことのように思える。
でも、僕はそうじゃないんじゃないかなと思う。
兄弟は変化しようとし、それができずに傷ついたけれど、その傷によって更に今を愛せるようになったと思うのだ。
「もうあんな思いはしなくていい」から今が好き。良くないことのように聞こえるけれども、そんなふうに過去と比べたっていいんじゃないかと思うのだ。
兄弟はまた一つ、今を幸せだと感じられる比較対象を手に入れたのだ。
それに、兄弟二人で暮らしていることが悪いことだなんて決してわからないのだ。
兄弟は結果的に変化を求めることとなったが、別に変化する必要なんて元から無かったのかもしれないし、そう考えると最高の結末じゃあないだろうか。
人は、変化せずにはいられない。
変化は、求めずとも向こうからやってくる。逆に、こちらから求めても変化できないかもしれない。
それならば、身を任せるほかは無いのだ。
望んだ変化を得られなかったことが、間宮兄弟のように、もっと今を愛せる機会となれば、それはきっと喜ぶべきものなのだと、そう思うのである。