時代が移りゆくのなら

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昔の偉人の伝記などを読んでいると、そりゃすごいなあと思うけれど、その一方でその時代だったからこそ成功できたんじゃないかと思ってしまうこともある。
偉大な発明家たちも、まだ何も発明されていなかった昔だったからこそ色んな物を発見できたわけで、仮に同じ人物が今の時代、このあまりにもので溢れかえる時代に生まれてきたのなら同じように成功したのだろうかと思うのだ。



僕らは昔の時代に憧れることがよくある。
狩りなどが行われていた時代など特にそうだ。
何もなかった時代だからこそ、これから色んなモノが生まれてくるという夢があるからなのか、または単に一からのスタートであるかのような新しさを欲しているからなのか。
それとも、この現在を否定したいからなのか。

その憧れのせいか、昔は夢があってみんなスタートラインは一緒だったと思ってしまうからか、彼らは昔を生きていたからこそ成功したんだと思ってしまう。
今の僕たちは同じようにやっても成功できやしないと思ってしまう。

しかし、その考えはある意味当然のことなのである。
彼らはその時代で成功できることを実行したからこそ結果を残してきたわけで、時代が、環境が変化したならばそれは同じことをやっても同じ結果が残るわけなんて全くないのだ。
成功したかどうかなんて周囲の評価なわけで、それこそ時代が変われば周囲の考えも変化するのだ。
彼らは、彼らの時代で成功するように行動したのである。


では過去の偉人達の行動からは何も学べないのかというともちろんそんなことは無いはずだ。
今の時代と共通して役に立つ部分は少なからずあるだろうし、根本的な考え方などは普遍的であることが多い。
しかし、彼らの活躍から強く感銘をうけたからといって、僕らが全く同じことをやっても同じような結果を残せるはずなんて無いんだろう。
そもそも真似することなんて出来やしないけれど。


孫正義の伝記を読んだ。
彼は坂本龍馬織田信長に強く感銘を受けたが、彼らの成功をその次代の、彼らのみの成功だとは捉えなかった。
彼らの行動から学び、今自分が行きている時代を最高の環境であるとし、さらなる成功を望んだ。

現在を生きている僕達の中で、偉人たちの活躍を見た後、自分たちが生きている時代ならもっとすごいことができる、というように考えることのできる人間はどれくらいいるのだろうか。
きっと孫正義のような人間はどんな時代に生きても成功してしまうのだろう。
僕らは、彼らのその考え方の根本を見習わなければならない。


今から見た昔は、発明の余地がまだまだたくさんある夢のある時代なのかもしれない。
そして現在はもう夢なんて残ってやしない時代だと思っているかもしれない。
しかし、これからもっと未来に行くと、現在はもう過去となって、未来から見ると同じように夢のある過去なのかもしれない。

現在を生きているのだから、昔と比べずに、現在にも夢があると信じられればなと思う。


志高く 孫正義正伝 完全版 (実業之日本社文庫)

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