一対一か一対多か

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大学への入学前ということで、手続きなどで何度か大学へ電話をかけることがあった。
そして少し考えることがある。
僕は、「担当者がおりませんので。」で片付けてしまう対応に違和感があるのだ。

 

担当者は私ではない

例えば、奨学金について確認したいことがある。
例えば、寮について。
例えば、単位認定について。
例えば…

 


電話をかける理由は様々であり、大学にはそれぞれの担当者がいることだろう。
それは分かっているつもりだ。
けれど、電話で尋ねたとき「担当者がおりませんので」で済ませられると腹が立つ。
何度か大学へ電話させていただいたが、そのような対応が実に多く困った。

たまたま電話を受け取った方からすると、自分には全く関係のないことなのかもしれない。
そしてそのこと専門の担当が、別にちゃんといるのかもしれない。

それが事実であるかもしれないが、その事実だけを伝えて終わり、では困るのだ。

担当者がいなくて対処が出来ないのであれば、例えば担当者に伝えて折り返し連絡をするとか、担当者が確実にいる時間を教えてもう一度かけ直していただくようお願いするとか、分かる範囲で応えてかつアフターケアをするとか、とりあえず出来ることをしてほしいのである。

なぜ他人任せの、自分が担当でないからといって何もアクションを起こさないという選択をとってしまうのか。

 

 

一対一か一対多か


僕は、それは一対多か一対一かの意識の相違から生まれてくるのではないかと思う。
僕は、相手は大学として、一対多として電話をかける。
しかし、相手は自分が電話を受け取ったとして一対一として捕らえてしまうのだ。
結果として、自分(一人)には関係ないから何もしないが、こちらは多にかけているつもりだから不満を覚えるということになる。

ここで、電話をかける側が一対多として臨むことは間違っていないと思っていることを言っておきたい。
電話番号の欄には決して個人名が書かれているわけではなく、団体名が書かれておりさらに個人宛の質問をする訳でも無いのだから当然だと思うのだ。
僕は、「大学」に電話をかけているのである。

一対一で対応をしてしまうような人は、責任感や社会人としての自覚が足りないのではないかと思う。
あなたが電話を取ったかもしれない。
しかしあなたは組織の人間で、僕は組織に電話したのだ。
あなたは電話に出た時点で、組織を代表しているのである。

これは別に大学に限ったことではない。
企業も同じだ。

インターネットでのやりとりもそうである。
それらは事実一対一のやり取りではあるが、その裏には一対多の責任も隠れていることを忘れてはいけないんじゃないかと思う。