「逃げ」という最終兵器
大学生が就活で悩み、自殺する数が増加していると聞いた。
僕は就活ということをやったことがないが、それはあまりにも過酷なものらしい。
状況が辛いのならば、取り巻くその状況をどうにかする必要性がある。
状況の変化を個人の視点で考えた場合、原因が解決し状況そのものが変化する方法と、原因は解決していないが本人がその状況から脱出する方法とがあると思う。
どちらを選ぶかは状況を変化させるという当事者の目的からすると問題ではないのだが、この場合後者がまさに逃げるということであり、
そして世の中には、逃げることは悪であるという認識が深くはびこっているのだ。
逃げることが悪かどうかなんて本来大きな問題ではないのに、それが人々を苦しめているのではないかと思う。
逃げは悪ではない
例えば
日本の政治が迷走し、日本での生活レベルが一気に下がったとする。
ここで3つの行動について考えてみる。
ある人は
俺が政治家になって、日本を変えてやる
というかもしれない
ある人は
日本はもうダメだ。海外で暮らそう。
というかもしれない
ある人は
しょうがない。そういう時代もあるさ。
というかもしれない
ではこの3つの行動のうち、どの行いが一番悪いと思われただろうか。
きっと最後に挙げられた、今の状況をただ許してしまっている人だと思われたのではないだろうか。
この行動は何一つ原因を解決できないし、自らも不幸になってしまうだけである。
これは直感的にわかることであろう。
この行動が「逃げ」なのだろうか。
しかし、よく考えてみると
日本が危ない→海外へ行こう
という行動が一番の「逃げ」ではないだろうか。
悪い状況を呼び起こした原因は、海外に行こうとも何一つ解決できていないのであり、悪い状況から脱出しているだけだからである。
しかし決してこの行動が悪であるとは思わないだろう。
なぜか。
それはきっと、逃げるという選択が自分を幸せにするための行動だからだ。
何もせず負を受け入れてしまうくらいなら、逃げてしまったほうがいい場合もあるのではないかと思うのだ。
僕はつまり、逃げることは必ずしも悪ではないと、そう言いたいわけである。
政治を変えるという行動がもっとも賞賛されるであろう選択であるが、
これは状況を悪くした原因を解決した上で現状から脱出する方法である。
周囲の人間にもいい影響を与えることができるが、行動を起こした個人の視点で考えると、これは逃げることと変わりないのではないか。
なぜなら個人で見ると、目的である現状を変える点についてはどちらも達成しているからである。
そして、逃げることは場合によっては難しいことがある。
上の例がよい例だろう。
反対に、許すことは実に簡単であるといえる。
なにもアクションを起こさず、ただ現状を肯定すればいいのだから。
逃げるという最終兵器
逃げることは必ずしも悪ではないと書いたが、だからといって、もちろん常に逃げていればいいというわけではない。
ある一定以上負の状況でないと、逃げは悪となってしまうのである。
しかし、就活などで「死ぬほど」辛い状況というのは、例のように国のレベルでは決してないが、その条件に当てはまると思う。
現状が死ぬほどなのであるから、死ぬということこそが、現実を許し受け入れた結果ではないだろうか。
決して、死ぬということが逃げるということではない。
逃げるということは、原因を解決できないにせよ、その状況から脱出することであるのだ。
僕は逃げを最終兵器だと考える。
それは決して、普段乱発していい代物ではない。
しかし、いざという状況で使わないまま持っておくのはもったいないのではないか。
悪なんかじゃない、別に使ってはいけないものでもないのだから。
就活で大学生が自殺していると聞いて、こんなことを考えた。
いつか僕も就活で悩むときがくるだろう。
そうでなくとも、いつかもっと他の最悪の状況に遭遇するかもしれないし、僕にはその原因を解決することができないかもしれない。
でも僕は、自殺してしまうくらいなら、そのときはおしみなく最終兵器を使っちゃおうと、海外にでもどこにでも逃げてしまおうと、そう思うわけである。