字がきれいだということ

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「字はその人の人となりを表す」、これは絶対、字がきれいな人が言った言葉だと思う。

字がきれいな人が羨ましい。
僕は、字がなかなかに汚いのだ。


しかし、字がきれいな人が至る所で得をしているかというと、別にそうではないと思う。
その逆で、彼らは彼らの字によっては決して損をしないのだ。
字が汚い人は、その汚さ故に、至る所でチクチクと自尊心がダメージを受けることになる。
公の書類などでは特に。


小学校低学年のころ、僕はスイミングスクールに通っていた。
と同時に、周りの子たちは習字教室に通っていた。
当時僕は、格好良さ的に
スイミング>>>>>>>>習字
だと思っていたので、習字教室に言ってる奴らを心ではバカにしていたものだ。
しかもその習字教室は頻繁に行われており、「今日習字だから遊べない」などとよく言われ、「習字なんか辞めちまえよ」と言っていた。


そして成長していき、水泳の速さを披露する機会など無くなり、僕が自尊心をチクチクされる機会が増えてきた。
字がきれいな人は、格好いい。
今となっては、格好良さ的に
スイミング<<<<<<超えられない壁<<<<<<習字
である。完全に逆転してしまった。

僕は今、あの頃の僕にお願いしたい。
「習字めちゃ格好いいよ、将来自尊心守るのに役立つよ、え、意味分かんない?いやもうどうでもいいから習字習って下さいお願いします」

まあそれでもスイミングに行くんだろうけどね。


この例から学べそうなこと

スイミングスクールは華やかで即効性があり、楽しかった。
対して習字教室は地味ですぐに上達するものてはなく、それでいて楽しくなさそうだった。

ここで、習い事を「人生に役立つ」のが目的としよう。
そうした場合、長い目で見ると正に、習字教室こそが成果をもたらすものだったのだ。


人は目の前にぶら下がってる成果に飛びつきがちで、本当に利益をもたらすものに目がいかなくなってしまうものなのだ。

目的が何かを常に自分に問いかけ、華やかさに誘惑されず、長期的な視野で物事を見ることが大切なんだと思う。