プラスマイナスの感情

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人は成長し、一日が短いと感じるようになると、生活に効率を求めるようになってゆくような気がする。

もちろん効率が悪いのと良いのでは、そりゃ良いほうが望ましいだろうが、そういう考え方に偏ると、物事をプラスかマイナスかでしか計れないようになってしまう危険性があると思う。

 

僕らの利益

 

僕はながらく、生活に「利益」ばかりを追い求めてきたように思う。

ずっと理系の中で過ごしてきたからだろうか、変に論理的に考えがちで、いちいち理由を考えずにはいられなかったのだ。

その理由を説明できるのが、利益を前提とした考え方だったのだろう。

選択を迫られたとき、それを行うことによって得られる利益が大きいと考えられる選択を選ぼうと必死だった気がする。

そしてそれは、たぶん全く的外れな考え方ではないんだろうと、今でも思う。

 

でも最近、その僕が言う「利益」ってなによ?それって本当に重要なのかよ?と考えるようになったのだ。

 

求めている利益、それはたぶん自分のスキルアップ、人脈を増やすこと、仕事でよい成果を得ること・・・人それぞれだろうと思うが、それらは本当に、本当の意味で自分にとって利益となるものなのだろうか。

他の事を捨ててまで、優先すべきことなのだろうか。

 

これを考えるために、目的が何かを考える必要があるのではないかと思う。

目的が何かによって、それが利益となり得るかどうかは変わってくるからだ。

「利益」とは、ある目的があって、それに対してプラスの成果をもたらすもののはずだからだ。

 

 

僕らの目的

 

生活に求める、目的ってなんなのだろう?

前のエントリでも、目の前の小さな利益に対して、最終的な目的というものを忘れてはならない、ということを述べた。

最終的な目的というのは、つまりそれぞれの人生の目的なのだろうが、それは一体何なのだろう?

普段は決して考えることのないことのような感じる、「人生の最終目的」・・・。

これを改めて考える機会を用意するのに、次の思考法がある書籍に載せられていた。

 

今、あなたは死の床にあるとする。

あなたの人生を振り返って、何を思い出せば一番嬉しいだろうか。

そして、あなたの葬式で、あなたは皆からのスピーチで何を言ってもらいたいだろうか。

 

 

それは金をめちゃくちゃ稼いだことだろうか。あいつは金をめちゃくちゃ稼いだ、と言ってほしいのか。

昇進したことだろうか。あいつの昇進スピードはものすごかった、と言ってほしいのだろうか。

 

そうではないはずだ。

あなたが望むものはきっと、家族や友人達との人間関係によって生まれるものではないだろうか。

 

人生の最終目的を、つまり、死ぬときにどう思いたいか、どう思ってほしいのかということを考える必要があるのではないかと思うのだ。

そしてそれを考えることができたとき、プラスマイナスの感情で物事を計る考え方は、きっと崩れ落ちるのではないかと思う。

 

あなたの目的とは・・・?

 

 

僕にとっては

 

僕は高専在学の間ずっとバンド活動をやってきた。

そしてとうとう昨日、卒業ライブがあった。

 

バンド活動をする、ということは楽しいことばかりだったけど、それがあまりに楽しいが故に、このまま続けていいものか、そう思うときがあった。

もっと、なんというかつらくて苦しいような、明らかに自分を鍛えてくれるような、そういういかにも利益をもたらしそうな何かをすべきではないか・・・

思い返せば訳わかんないこと考えてるなあと思うけど、そう考えずにはいられなかった。

 

でも、バンドやってたことは絶対間違ってないと、今なら思える。

だって死ぬときに、バンドやってたことを、皆とすばらしい時間を過ごせたことを思い出せたなら、きっと本当にうれしいから。

 

僕らの生活には、決して損益勘定では計れない、プラスマイナスの感情じゃあ計れないものごとが、きっとたくさんあるのだ。