クソみたいな一日を、なんとなく許すには
今日は昼過ぎに起きて、そこからずっとグダグダしていた。
小説を読んだり、まだ読んでなかった漫画を読んだり、色んなブログを読んだり。
そして気づけばもう夕方。
今日はまだ一回も外に出ていない。
「あぁ、クソみたいな一日を過ごしたなあ」と後悔する。
でも、誰もがそんな風に感じてしまう時って、あるんじゃないかなと思う。
クソみたいな一日
人が「今日はクソみたいな一日だった!」と思うような状況ってどんな状況なのだろう?
改めて考えてみると
- あまり活動していない(寝てた、など)
- 家にこもりっぱなし
- 金を使いすぎた
- 不健康な生活をした
- 楽をしすぎた
などではないだろうかと思う。
ほとんど寝てた一日はかなり損した気分になるし、一日中家から出てないときなんてえらく憂鬱な気分になる。
かりに外に出て活動しても、お金を使いすぎたらそりゃあ後悔するし、健康に悪い行動はまさにクソみたいな一日を作り上げてしまう。
また、人はあまりに楽をし過ぎると「こんなんでいいのかな?」と少しばかり不安を覚えてしまうものだ。
そんな状況が含まれた一日を送ってしまったとき、どうすれば挽回できるのだろう?
活動的で、家の外に出られるような、お金も使わずに健康にいいような、そんな方法は・・・。
許すために
そんなとき、僕は決まって夕方にランニングをする。
ずっとグダグダやった一日だ、重たい腰を上げて走りに行くというのはとてつもなく億劫だが、これがやってみれば効果てきめんなのだ。
30分~1時間くらいランニングをして汗を流し、帰ってからシャワーを浴びると、なんだかその日一日充実していたような気分になるのだ。
すると、その夜は昼間のグダグダを引きずることなく活動できることが多い。
終わり良ければ全て良し、である。
そうすると、寝る前には今日はクソだったなんて思うことはないはずだ。
外には出たし、運動して汗を流したし、きつい思いもしたし、もはや完璧に近い気さえしてくる。
ランニングは道具も要らなければ仲間も要らない。
場所も必要としないし、お金も要らない。その上健康に良い。
その日一日をグダグダ生活してきたのだから、準備が必要だったりする方法はすでに役には立たないのだ。
チームでのスポーツをやるなどは敷居が高すぎる。
夕日を見ながら、自分だけのペースでゆっくりと、ランニングをする。
悪くはないはずだ。
ただ、なんとなく
よって僕は、夕方のランニングを強くおすすめする。
しかし、ランニングで気持ちよく汗を流したからといって、クソみたいな一日が戻ってくるわけではない。
ただ、なんとなく許せるようになるのだ。
僕は別にそれでいいんじゃないかなと思っている。