工学を哲学する

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僕は工学を専攻していてなおかつこのようなブログを書いているのだから、たまには勉強したことを記事に反映させてみようかと思う。

需要なんて無いだろうが、工学(広い意味で。数学的な考えを当然含む)を哲学的に見ることはけっこう面白いことだと思うのである。

 

 

人生において、自らが落ち着くべき場所

 

僕らはいろいろな環境に身をおいて生活している。

ずっと同じ環境で生活できるのであればそれが楽だとも思いがちだが、もちろんもっと楽しい環境だって世界の何処かには存在するだろう。

 

そのことは心の何処かでわかっているはずだが、そこを探しまわるには環境を変えるための努力が必要で、つまりあらゆる変化を受け入れなければならず、それは時として苦痛となりえるのだ。

それは、難しいことなのだろうか。 苦痛に耐えてまで、どこかにある自分にとっての安息の環境を探す必要はあるのだろうか。

 

多くの人は、そう思うことはできない。

なぜなら今身をおいている環境が周囲を見渡すかぎりでは最も安定している環境であり、それより遠くへ行くためには今よりもっと不安定な環境を通過しなければならないことが直感的にわかるからだ。

 

 

工学でも、なかなか似たような現象が存在する。

それは複雑な関数の中でどこが最小の値をとるか、どこが最大の値をとるか調べる場合である。

 

広い定義域の中で手探りに例えば最小値を探すことは難しく、様々な手法を駆使して調査を行うことになるが、これは時として不安定な関数値を踏まえなければならない事がある。

 

人も、そうではないだらうか。

どうすれば、安息の地をみつけることができるのだろうか。

 

 

シミュレーテッドアニーリングという方法

 

システム工学論に、複雑な関数値の最も極小的な解を見つける手法としては多くの手法があげられるが、例えば「シミュレーティド・アニーリング」というものが存在する。

 

シュミレーテッドアニーリングを含め多くの最適解探索法は、極小解を探すために、その場所が安定しているかどうかを判断材料として試行を繰り返し探索を行う。

 

しかし多くの方法では与えられた範囲全体の中から最も小さな解を探そうとしても、もっとも極小ではないにもかかわらずそこが安定しているが故に、そこが最適な解だと判断してしまう事があるのだ。

 

つまり部分的にはもっとも小さな値を取る場所、「ローカルミニマム(局所解)」に陥り、そこから抜け出せなくなってしまうのである。

 

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※最も値が小さい場所(現実世界では最も不満が少ないところとでもしよう)を探しているとき、狭い視点で見てしまうとx1で満足してしまう。しかし一度不安定な工程を踏むことで(変化のストレスを受け入れることで)本当の最適解であるx2を見つけ出すことができるのである。

 

 

これは人間の行動にも通用するものがあるのではないだろうか。

人も、今の現状がにわか安定しているがためにそこへ一度入ってしまうとなかなか抜け出すことができなくなってしまうのだ。

今よりももっと良いところが他にもあるというのに。

 

 

関数のグラフを見てみると、パッと見で最適解が別にあることが分かるんじゃないかなと思う。

こんなもの人の行動に重ねられても困る、と思われるかもしれない。

しかし、探索を行っているシステム自体は関数がどのような形をしているかなんてわかってるわけ無いのだし、この手法を使って探索している時点で、システムを使用している人間も最適解を手探りで探している状態なのだ。

 

そして解が得られたとしても、それが本当に最適解なのかどうかはわからないことだってある。

 

 

人も同じだ。

 

今が本当に望んでいた場所かどうかなんてわかんないし、もっといい場所があるかどうかもわからないのだ。

 

 

じゃあどうすればいいのか。

シュミレーテッドアニーリングの場合、一度安定している解に入った場合(それが局所解であれ最適解であれ)、乱数を使ってある「不規則な」動きをして安定した解から抜け出すことを試みる。

今が安定しているにもかかわらず、不安定を求めて変化しようとするのである。

この変化のお陰で、局所解を抜け出すことができ、本当の最適解を見つけ出すことができるのだ。

 

 

この考えは人の人生にも大いに役立つ考えである。

今あなたは、一見安定してて良い場所にいるのかもしれない。

しかし、本当はもっといい場所があるのかもしれないのだ。

 

だが残念なことに、それは「かもしれない」であって、どこにあるかなんて明確な答えは誰にもわからない。

だから、本当に自分の最適解を見つけたいのならば、どこかに変化してみる必要があるのだ。

 

今の現状は確かに安定しているのかもしれない。少し周りを見渡しただけでは完璧な解かもしれない。

さらに、シミュレーテッドアニーリングと同じように、人の変化には不安定な時期を伴うかもしれない。

しかし、変化しないことには、その局所解で満足してしまっているようじゃ、最適解なんて一生見つかりっこないのだ。

 

 

僕らが最適解を探すために

 

それに、僕らは経験と想像力という強力な武器がある。

シミュレーテッドアニーリングと違って、乱数なんかにばかり頼る必要はない。

これまでの経験と最大限の想像でもってしっかりと考えた上で、変化すべき、最適解があるであろう方向に向かって変化すれば良いと思う。

 

 最適解を見つけること、それは現時点の安定を捨てなければならないかもしれない。不安定に身を晒さねばならないかもしれない。

しかし、予測不可能な生活の中でそれでも最適解を見つけたいのならば、シミュレーテッドアニーリングのように、これまでの自分にとって「不規則な」行動をとってもいいのかもしれない。