苦痛を伴うことに対して

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苦痛を伴うことは、総じて肯定されやすい、と思う。

部活などでは、その練習によって得られる効果に重きをおかずに、その練習がいかにきついかどうかに重きを置いてしまうようなことが多々ある。

最もきつい練習をやっていれば、それでいいんだと。

 

 しかし、物事の苦痛が大きければ多いほど、大きな結果が得られるかといえばそんな保証はどこにもないのだ。

確かに、苦痛と結果の関係性は存在するだろう。

きついことはなかなか進んで出来るものではないから、きついことをすることで他人と対比してより多くを得ることができる傾向があることは事実である。

もしもそのことが誰にでも簡単にできることなのならば、それは他人と比べれば差のない結果となるだろう。

 

しかしこれらは飽くまでも対比した結果であり、苦痛を伴うきつい作業こそが絶対的に素晴らしいことかというと、そうとは言えないのだ。

世の中には、楽で楽しく行えて、それでいてリターンも大きいことはたくさんあるだろうし、出来るのならばそのような事ばかり選択できればなとも思う。

 

それに、これはよく言われることなんだけれども、努力(=一般的には苦痛)することは成功するための必要条件であって、十分条件ではないのだ。

苦痛を伴ったからといって良い結果がついてくるかといえば、そんな保証などどこにもない。

成功するために進んできついことばかりをするような人がいるけれども、(その傾向は間違ってないと思うが)もしもそれから得られる結果を予測できる目を持っているのならば、それがきついかどうかで判断するようであってはならないのだ。

 

苦痛を伴う事こそ素晴らしいという美徳は、大変危険な考えであり、誰もが持ち得る考えであると思う。

得られる結果が同じならば、恐ろしく楽に終えられてしまう作業と、かなりの苦痛を伴う作業とがあるならば、迷わずして前者を選ぶべきなのだ。

 

簡単な作業を終えた後に、それが想像したよりも簡単であると「えっ、これでいいの?」というような感情を抱くことがあるかと思う。

なぜこんな感情を抱くのか不思議に思っていたが、それはやはり苦痛を伴う事こそ素晴らしいというような美徳が、僕ら日本人の根本には植えつけられているからではないだろうか。

 

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