既出の知識を書く意味

 

昨日のエントリ。

ya-yuki.hatenablog.com

 

これの中身については、実際検索すればいくらでもヒットするし、すでにネット上で蔓延している知識なわけだ。
そしたらわざわざ書く意味は無いのかって?ありまくりだ。

 

1,知識は能動的でないと手に入らないことが多い

ネットにその知識が蔓延しているとしよう。
その蔓延っぷりが大きいほど検索して出会う可能性が高くなるが、結局検索しない限りは、なんかの宣伝とかでふと目について「これ知りたかったんだよねえ!」ってなることは少ない。
これはどういうことか。つまり検索しない限り自ら知識と出会うことは極めてまれということだ。
当たり前といわれればそうかもしれないが、これは中々重要なことでもある。
潜在的には知りたいし調べればそりゃ出てくるだろうなということでも、わざわざ自分で調べるまでは無い(というより、調べるという考えが浮かばない、ネットにその知識があると認識していない)、というような些細なことは生活の中でたくさんあるはず。
このような知識は結構ある。そしてそれは既にネットに蔓延してるんだろうから、そいつらは調べるという動作に辿り着くのを待ち望んでいる。
ここで僕みたいな二番煎じのやつがその知識を書いたとしよう。
するとどうか。普段このブログに来ていただいている人達はルーチンワーク的にこのブログを訪れてその情報を手にするのだから、「受動的に」知識を手に入れたことになるのだ。
これはその知識がネットに蔓延しているという事実を知っており、かつ労力を割いて検索するという「能動性」が必要ないから、十分意味を持つことなんだ。

 

2,知識をしっかり自分のものにできる

ネットに蔓延してたら、まあ忘れちゃったら検索すりゃいいや、となるが、これじゃなかなか身に付かないもんだ。
僕としては、これは特に横文字系のムカつくワードに効果ありまくりだと思う。
例えばニッチっていう言葉。なんとなく意味は分かるし、そりゃ検索すればいくらでも出てくるんだけれど、いつどんな感じで使えば正解なのかはよくわからないまま聞いてばかりいた。
それがブログの文章の中で使うとなったらどうだろう。間違った使い方をしたら恥ずかしいから、しっかり調べて使うはずだ。
そうなるとそれこそしっかり身に付くことになる。自分のものにできる。
すでにネットにあるからって、それが自分の知識そのままってわけじゃあ決してないのだ。

 

3,他人に説明するデモンストレーションになる

これはまあ2に近いんだけど、人に直接口頭で説明するときに、一度ブログに書いておくと説明しやすい。
そりゃもちろん一度文字に起こしてまで書いてるんだからあたり前だ。
特に例を考えながらブログに書いたときなんか効果てきめん。僕はポンポン気の利いた具体例を思い浮かべられるほど気の利いた人間じゃないので、一度ブログに書いておくと、それを出せばいいんだから助かりまくり。

 

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とまあここまで書いたが、1に関してはこのブログに常に来ていただいている人達っていうのはごくごく限られた人数だし、2,3については完全に自分のためなのでぶっちゃけ意味ないかもしれない。