集団に属するということ

     f:id:Ya-Yuki:20140428091105j:plain

 

4月からはれて大学生活をスタートさせたのだが、一番の問題はサークルをどうするのかという問題だった。

新たにある集団に属するということは、それだけで日常のタスクが増えるということでもあり、それには時間とお金と労力を犠牲としなければならない。

これは別に大学生活に限ったことではなく、たとえば社会人で習い事やジムに通うようになった時などと同じ状態ではないだろうか。

 

それぞれのサークルの新歓に足を運び(ちなみに、大学生活を経験したことがあるのならお分かりだろうと思うが、新歓というのは素晴らしい制度である。生活リズムこそ崩れるものの、長期間お金をかけずにあんなに楽しめるイベントが果たして他にあるだろうか)、いろんな方と楽しく話しながら、それぞれの集団に色んな物を犠牲にして属する価値が有るのかを自分に対して問い続けた。

その結果、大学のサークルにも一部入るが、それよりも大学とは全く関係のない外部の社会人サークル(サークルと呼ぶのかは分からないが、ここではそう呼ばせていただく)に入ることにした。

そのサークルの活動が、僕にとっては何とも面白いものなのでそれに対して書いてみようと思う。

 

 

その社会人のサークルには様々な職業で働いておられる方はもちろん、転職中の方や老いて既に一線から退かれた方、色んな大学生などが毎週集まってくる。

多様な人たちが集まってくるこのサークルこそ、僕が得られるものもあるのではないかと思ったのだ。

正直大学のサークルは、なんだか似たような考えを持つ人間で固まった仲良し集団かのような印象を受けた。

前の記事にも書いたが、人間関係から得られる本当に大きなものとは、それは「違い」から得られるのではないかと、僕は思っているのだ。

 

主な活動内容はバレーであるが、他にも色々なスポーツを企画したりする。

実力も年齢も性別も異なる個人の集まりが、それでも一つになってスポーツを行おうと行動し、その結果いつも団結した状態で活動を終わらせることができていると思う(少なくとも大学よりは)。

毎週集まるメンバーも人数もバラバラなのに、よくこんなに楽しく一つになって活動できるものだと感銘を受けるし、僕もその輪に入りたいと思わせるような力がそこにはあると思うのだ。

 

また、このサークルでは楽しんで終わることを良しとしない。

「楽しかった!」それだけで終わってしまうと何も後に続かないと、そう声に出して確かめ合うことを大切にしているのだ。

目標を立てて毎回の活動を行って、その活動から何かを得ようと努力をし、そして得られたものをまた実生活に活かそうと、そうする事こそが活動を行う意味だというのだ。

 

僕はこの考え方がとても好きだ。

もちろん楽しむことは素晴らしい。楽しくないことなんてやりたくない。

しかしそこに「意味」が存在するのなら、それはもっと素晴らしい物になるのではないかと思うのだ。

もちろん意味は人それぞれであるが、時に見出しにくいこともある。

特に、スポーツを楽しくやるということに果たして意味があるのかと僕は思ってしまう(運動ならランニングすることが趣味だし、ストレス解消の類ならもっと手っ取り早い方法があるのではないかと思ってしまう)が、このサークルはそんな活動に意味を付けることにウエイトを置いているのだ。

 

 

このサークルでは、人間関係からもそうだが、その活動からも何か得られるかもしれない。

集団に属するということ、それは多くのリスクが伴うが、それを踏まえた上で行動することによって何かを得ようとする姿勢が生まれ、結果としてリスクを上回る果実が得られるのだと思うのだ。

これからも活動へ参加し続けてみようと思っているが、そもそもこのサークルへ入るきっかけも偶然の連続で奇跡のようなめぐり合わせであったので、それを大切にしたいと思ったりもしている。

  

 

「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと

「大学時代」自分のために絶対やっておきたいこと