時代性を考えるとは

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ある人から、時代性を考えたことがあるかと問われた。

自分が何をすべきなのか、何をした方がいいかという問いに対して、時代性を考えることも大きな判断要素の一つになり得ると、その人は言うのだ。

 

正直なところその時代性を、今僕が生きているこの時代がどんなものなのか考えたことは殆ど無い。

今何が求められているのかとかそういったことは考える必要があると思っていたけれど、それと同等のレベルで、時代性を考えることは大切なもののようなのだ。

歴史を学ぶことなどがまさにそういうことなのかもしれない。

これまでは歴史なんて座学どころか雑学でしかないと思っていたが、もしかしたら最も大きな問に答えるヒントをくれるものなのかもしれないと思ったりもするのだ。

 

 

今の時代はどんな時代なんだろう。

なかなか想像もつかない。

僕がざっくりと考えるとするなら、いろんな技術が発明されてどんどん生活が豊かになっていったけれど、一方で地球がどんどん衰弱していることに気づいた時代、といったところなのだろうか。

 

今の時代がどんな時代なのかなんて、その時代が僕達に何を求めているのかなんて考えている若者はそう多くないように感じる。

しかし、だからといってめちゃくちゃ悪い影響があるかというとそうではなくて、むしろ時代性を考えることは意識せずとも行っているのかもしれない。

当たり前だが、この時代に生まれてきて、この時代に存在するものに囲まれて生きて、そこで何をしたいのか、何をすべきなのか考えているのだから、必然的に今の時代性を意識していることになるのではないかと思うからだ。

だからこそだ、だからこそそれを改めて考えることは難しいのかもしれない。

 

しかし、それだけでは足りないのではないかとも、改めて時代性について考えろといわれると感じるのだ。

今見えているもの達から判断してもそれは時代性を反映させたものになるのかもしれないけれど、それだけでは判断材料は少なくて、やはり前後の「流れ」を捉えるべきなのだろうと、そういうことである。

そうするためには、ある程度関係する歴史を学ばなければならないのかもしれない。

 

 

時代性についてなんて考えたこともなかった。

なんか僕の中で一つ見方が変わったような気がする。

別に答えを考えたわけではないけれど、それでもきっかけにはなったのだ。

 

皆さんは、「時代性」について深く考えたことはあるだろうか。