自分のために努力すること

 

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自分のために行ったことが、他のためになることもあるって話。

 

 

他人のために何かを行うことは簡単ではないと思いますが、単純に他人のためだけにやるようなことは、それが本当に他人のためになるかというとそうでもないと思います。

どういうことかというと、単純な手助けは、その人がぶつかっている障害を取り除けるかもしれないけれど、その人の壁を乗り越える力を鍛えることになるかといえば、そうでもないってこと。

 

当たり前ですね。

で、次に、他人のためにやったことが自分のためにもなるって話。

 

他人に勉強を教えると、自分の中で改めて理解が深まりますし、他人に説明する能力が身に付きます。

特に後者は、一生かけて身に着けるべき能力ですので、かけがえのないメリットでしょう。

 

これも当たり前ですね。

で、次に言いたいのは、自分のためにやったことが、人にとって本当にその人のためになることもあるんじゃないかということ。

 

例えば。

テスト前に良い点数を取ろうと必死に勉強するとします。

それを見た他人は焦りを感じて勉強を始めようとするでしょう。

しかしながらその人は、あたかも自分の力で自分から勉強を始めたと感じ(実際それは間違っていません)、自分で勉強を進め、努力することになるかと思います。

自分は、自分が良い点数を取るだけのために勉強を頑張ったのに、それが結局他人のためになるということです。

 

まあこれは何の特別性も無い例えなんですけど、さらに環境という要素も取り入れてみると、例えば学校という環境は自分のために頑張ることが完全に肯定されていると言えます。

なぜなら、それが学校のためになるからです。

 

僕たちは、自分がいい成績を取って、希望の研究室に入って、希望の企業に入れるよう努力します。

すべて自分のためです。

しかし、そうやって成績を取ることが学校全体の平均学力を上げることになりますし、希望の研究室で頑張ることで成果を残し、それが大学の成果となることもあります。

有名な企業に就職できれば、もちろん大学はそれをPRできるでしょう。

企業に就職しても、ある程度同じことが言えるのではないでしょうか。

自分のために努力することが、周りにもいい影響を及ぼすことも往々にしてあるんです。

 

最後に、もっと大きな環境について。

日本人は愛国心があまりないと言われていますよね。

現に海外の方と多くかかわるようになると、それを実感できるような気がします。

では愛国心が無ければ、国のために活動することはできないのでしょうか。

 

これに、上の例が当てはまると思います。

 

自分のために頑張ってお金をたくさん稼いで、それで自分の好きなものをたくさん買って。

全部自分のためなんだけれど、皆がそういう生活をやっていれば国の経済は潤うんだろうし、結局国に貢献できているのではないでしょうか。

愛国心では国は潤わないし、僕はそういう、自分のために精一杯頑張れるということが何事にも大切なんじゃないかと、そう思うんです。

 

 

そして、今の風潮で良くないなあと思うのが、その「自分のために一生懸命になる」という姿勢が、あまり称賛されないということ。

結果的にそれは周囲に良い影響を与えることができるのに、「人のために頑張りました」というほうが圧倒的に称賛されるということ。

既に述べたように、他人のために何かをすることは決して簡単ではないでしょう。

そして、難しいことをやった人は、当然称賛される。

しかし、「他人のためになる良いことをした」という点でいくと、自分のために努力する姿勢も、蔑まれるべきではないと思うんです。

それがまさに人のためになっているのかもしれないのだから。

 

ごちゃごちゃ書いたけれど、結局なにが言いたかったのかというと、

自分だけのために努力をすることは決して間違っちゃいないということです。

それはすべからず自分のためになるし、むしろ周囲にも良い影響を与えるものなのです。

 

 

 

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